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2016年鐘12月号巻頭言

 最高のプレゼント 

主任司祭 ミカエル 山浦 義春

 

3000年前地中海の東岸には、ユダヤ人の王国がありました。エルサレム神殿を中心に礼拝が捧げられ、会堂では聖書の言葉が朗読され、人々は律法という規則を守りながら父なる神様と一つになる生活をしていました。しかしこのような生活は長くは続きませんでした。アッシリアの脅威にさらされるようになり、その後バビロニア王国の支配を受け、異国への強制移住が行われ、最後には神殿も壊されます。その後エルサレムに戻り神殿は再建されますが、ローマ帝国がこの地域を治め、自分たちの独立した国を持てず、税金ばかり徴収されてしまいます。自分たちの信じるユダヤ教を認めてくれる王様もいましたが、王様によっては迫害が行われ仲間が殺され、苦しい時代が続きました。

このような状況で人々はある思いを強くしていきます。それが神様がメシアと呼ばれる救い主を遣わし自分たちユダヤ人を導き、他国に勝利し、国を栄えさせてくれるという思いです。この考えがユダヤ人にとっての支えとなり、どんな境遇であれ、父なる神様が派遣してくださる救い主を待ち望んでいました。

今から2000年前のイエスさまの誕生によって、それが成就することになります。ナザレのベツレヘムでのイエスさまの誕生は、ユダヤ人にとって全てを叶えくれる救い主が来たことを意味しました。イエスさまの誕生が神様からの最高のプレゼントである証として、天使たちの歌声が響きわたり、星が多くの人々、王様であり、救い主であるイエスさまのもとに導きます。そして、三人の博士から黄金・乳香・没薬が贈られます。

私たちも最高のプレゼントを下さった父なる神様に感謝し、神様のその愛に一番応える生き方をすることが出来ますように。

2016年鐘11月号巻頭言

 死者の日によせて 

主任司祭 ミカエル 山浦 義春

 

現在のカトリック教会の典礼暦では、11月は帰天された方々に特別に祈りを捧げる「死者の月」となっています。諸聖人の祭日(11月1日)の翌日11月2日は「死者の日」としてミサや祈りが行われています。カトリック教会では古くは2世紀頃から死者のための祈りがはじめられ、次第にミサが行われるようになりました。現在のように特定の日に死者のためのミサが行われるようになったのは7世紀の初めごろと言われています。そして諸聖人の祭日の翌日に「死者の日」のミサを行うようになったのは、10世紀ごろのフランスのクリュニー修道院からと言われています。それから200年の歳月を経て、ヨーロッパにこの慣習が根付き、教会暦として整備されてきました。私が感じるのは暦として定着するほど、帰天された方への思いは計り知れないものだったということです。

この死者を重んじ、畏敬の念をいだくということはカトリックにはじまったものではありませんでんでした。ヨーロッパではカトリックの祈り・ミサが広がる以前に、すでにローマ領内で異教の「御先祖の祭り」が行われていました。これは死後3日目、7日目、30日目と年の命日に家族がお墓の周りに集まり食事をするというものでした。この人たちが行っていた異教の捧げものが、後にカトリックのミサに代わり、この異教の伝統を受け継ぐかたちになりました。このように11月の「死者の月」と11月2日の「死者の日」は、様々な伝統を取り入れ定められてました。

最近では典礼にも少しの変化が見られました。それは葬儀・告別・納骨など死者の典礼(ミサや祈り)が執り行われる場合、以前は黒や紫などの死、悲しみ、死者の贖罪を表す色の祭服を用いていましたが、現在は白を用い、神様への傍らにいることの喜びと希望を表すようになりました。私たちはこの月、聖堂で、そしてお墓の前で、帰天された方のためにお祈りをする機会が増えると思います。亡くなられた方々が、神様の傍らにいることができるように祈りましょう。カトリックにおいてこの地上での肉体の死は終わりではありません。死を通して新しい生命が始まります。その始まりは神様の傍らに行くことです。そのためにも、煉獄にいる霊魂のために、その救霊のために、祈りましょう。

2016年鐘10月号巻頭言

 ロザリオの記憶 

主任司祭 ミカエル 山浦 義春

10月はロザリオの月です。聖母を通して父なる神様に私たちの思いと願いをお捧げする月です。イエス様に寄り添う聖母に私たちの信仰を向ける特別な月です。これはカトリック教会において伝統的に守るべき大切な習慣であり、守られてきた信心であり、伝えるべき美しい祈りです。ここ日本でもこの習慣はある程度根づいていると思います。私の地元長崎でも大切な習慣としてロザリオの祈りは受け継がれています。私がはじめてロザリオにふれ、ロザリオの祈りをしたのは初聖体の頃です。初聖体のプレゼントに頂いたロザリオは一連一連色が違い、五色の輝きがありました。それを手に家族と、地域の方々と、そして教会でロザリオの祈りをし、そのロザリオの珠を大事な宝物にでもふれるかように手繰っていました。本河内の神学校時代には巨大なロザリオに出会いました。それはロザリオを唱えながらルルドへ参拝できるよう、ルルドまで昇る階段の手すりにロザリオの珠がついたものでした。私もアヴェ・マリアの祈りを唱え、一つ一つの珠聖母への思いを込めながらルルドまでのぼり、ルルドの水を飲んだ懐かしい記憶があります。手にもって祈るロザリオから、体全身で祈るという貴重な機会に触れた思いでした。そして長崎本河内教会主任の時には念願のフランスルルドでロザリオの祈りを唱える機会に恵まれ、初誓願の時に頂いたロザリオをもって、ベルナデッタの前に姿を現したした聖母出現の地を訪れました。この時のロザリオは私の恩人が使っていたロザリオを分解し新しい鎖をつけたもので、恩人にとっても大切なロザリオでした。ルルドでの祈りでは、聖母の姿に接したベルナデッタの気持ちが不思議と伝わってきて、ベルナデッタと心を一つに祈っているような感覚になり、時代を越えて共に祈ることができることに大変な感動を覚えました。そして、恩人のロザリオを握りしめながら、恩人がロザリオを通してこのような祈りの時を与えてくれたことに気づき、驚きと喜びの気持ちをロザリオの祈りにのせ、聖母を通してイエス様にお捧げしました。この時は、仲間の思い、自分の思い、そしてベルナデッタの思いそれぞれをロザリオの祈りでつむぎ、冠を作り、聖母の頭上にそれを捧げているような不思議な感覚を覚える祈りでした。初聖体の時頂いたロザリオ、ルルドに備え付けられた巨大なロザリオ、大切に受け継がれて来たロザリオとの出会いは、私にとって大切な記憶以上の自分の生きた証です。この10月のロザリオの月に、あらためてロザリオにふれる機会をもちませんか。ロザリオをしていた時の記憶を振り返れば、そこにはロザリオがとりもった仲間との出会い、ロザリオによって結ばれた聖母への思い、聖母によってイエス様と結ばれた喜びと希望があると思います。まずはロザリオを身近においてみましょう。

2016年鐘9月号巻頭言

 福者マザーテレサの列聖によせて 

主任司祭 ミカエル 山浦 義春

 

3月15日にバチカンで開かれた通常枢機卿会議で、コルカタの福者テレサ(マザーテレサ)を聖人とする列聖式の日取りが9月4日と定められました。また東京においても列聖記念ミサが9月19日に東京カテドラル聖マリア大聖堂で行われることとなりました。みなさんはこの聖人の生涯を知り、考えを深めたことはありますか。私は10年以上前になりますが、彼女が1982年に本河内の聖母の騎士修道院を訪れていたことを知り、聖人の生き方を考えるようになり、その後彼女の生き方を伝えたいという気持ちになりました。1996年の学生時代には山谷を訪れ、日本でもマザーテレサの創設した修道会が活動していることに感動し、修道会のブラザー達の生き方に強い影響を与え続ける聖人の生き方について、以前よりも考えるようになりました。その後もなんどか山谷を訪れましたが、その度に彼女の始めた行動が、地域も文化も越えて世界中に広がっていることにとても大きな喜びを感じずにはいられませんでした。彼女の行動とはどのような行動なのでしょうか。それは、周りの人々に自分を通して神様の愛を伝えることを自分の役割と受け止め、イエス・キリストのように神様の愛といつくしみを周りの人々に伝え、宗教や民族をこえて相手の存在を尊重することを実践し続けたことです。インドというカトリックが少数派の国の、しかも自分の生命の危険伴う貧困者の多い地域に自ら身をおいての行動です。それゆえ彼女の言葉には真実の愛を感じさせられます。『神さまはいまも、あなたをとおしてこの世界を愛しています』『宣教することは説教ではありません。わたしたちの存在そのもの』『私はキリストの鉛筆です』これらの言葉から私は彼女の生き方、イエス・キリストに従う気持ちを感じます。マザーテレサの列聖にあたり、あらためてイエス・キリストに従った彼女の生き方に思いを馳せ、彼女にならいイエス・キリストと共に歩む道を求め続けていきましょう。

2016年鐘8月号巻頭言

 よりどころ 

主任司祭 ミカエル 山浦 義春

 

皆さんの心に残る大切な思い出はなんでしょうか。家族との思い出でしょうか。私の場合は母が作ってくれたお味噌汁です。家族が集まって笑いながら、時には喧嘩しながら囲んだ食卓の事を思い出します。たいした御馳走はありませんでしたが、白いご飯と一緒に頂いたお味噌汁の味は忘れることができません。今回も帰省の際に母にお願いして食卓に出してもらいました。どうしてお味噌汁なのか。それは一口すすると安心し、自然と力が湧いてくるからです。当の母は「たかが味噌汁」と言います。確かに味噌汁は主食でもなければメインディッシュでもありません。けれども今では兄弟が集まると母の味噌汁の話しで盛り上がるのです。母の味噌汁はいつの間にか兄弟を繋げ、家族を支える「よりどころ」となっているのではと思います。

ところであなたの信仰のよりどころはなんでしょうか。いろいろあるかもしれません。洗礼時に頂いた洗礼名でしょうか。代父母から頂いた言葉でしょうか。それとも家族、恩人、尊敬する方からかけて頂いた言葉でしょうか。私たちはそれぞれに信仰のよりどころとするものがあると思います。それさえあればどのような苦しい状況に置かれたとしても、逃げずに耐え、時には笑顔にさえなることがきるのです。私はよく江戸時代の激しい弾圧の中に生き、信仰を守り抜いた人々の、ときには殉教の道を選んだ人々の信仰を支えたものは何だったのかに思いを馳せます。潜伏キリシタンは観音像と見立てて聖母マリア様の像をおき、また洞窟の壁や掛け軸に聖母マリア様を描いています。そこに集まり、聖母マリア様の取り次ぎを求めて熱心に祈りを捧げていたのでしょう。役人に見つからないように、見つかっても分からないように、受け継いできたものを大切に守りつづけて行ったのです。

教会では8月15日に聖母マリア様の被昇天の祭日をお祝いします。あらためて様々な時代を生きた多くの信仰者の聖母マリア様への思い、そして信仰のよりどころとして慕われてきた聖母マリア様の神様への信仰について考えてみましょう。