2017年鐘2月号巻頭言
宣教活動
主任司祭 ミカエル 山浦 義春
カトリック教会の典礼暦では、降誕節の主日である主の公現と主の洗礼のあとに年間という季節が始まります。年間はイエスの宣教活動(神の国を伝える、父なる神の愛を伝える)を受け止め、神さまの言葉を聴いて成長するという意味があります。そのため年間に着用する司祭の祭服(儀式用服)は成長を意味する緑が使用されます。今年の2月の主日は、四旬節が3月に始まるので、すべて年間という季節になります。年間という季節を通して、イエス様は何をしているのでしょうか。マルコ福音書によると、イエスはガリラヤのナザレからきてヨルダン川で洗礼を受けた後、ガリラヤ地方に行き、神の国の福音を宣べ伝え始めました。ガリラヤの山で12使徒を選び、共に活動され、宣教にまわられた地域は主にガリラヤ湖のほとりのカファルナウム、ゲネサレ地方、湖の向こう岸のゲラサというエルサレム神殿から見ると辺境の地であったことが記されています。ユダヤ教の中心であるエルサレム神殿付近ではなく、エルサレムに住む同じ民族のユダヤ人が忌み嫌う地域で宣教したということを通して、神様の愛を伝えるイエスの思いを知ることが出来ると思います。これらの地域の人々は他民族支配の歴史が長く、混血民ということで軽蔑され、救われるはずのない人々というレッテルを張られ、神様の救いから遠く離れているという絶望的な状況にありました。福音書の中でイエスは「私は健康な人のためではなく、病人のために来た」という言葉を発しています。イエスの宣教活動は差別され、神様から遠く離れている人々に、神様とのつながり、民族との一致、救いの希望を与えるものでした。第二バチカン公会議以降、洗礼を受けた者はすべてイエスを伝える使命があることが強調されています。私たちも自分の周りを見、弱い立場の人、困っている人、教会に来られない人に手を差し伸べる勇気を持つことが出来ますように。そして、私たちは皆兄弟姉妹であるという気持ちを共有出来ますように。これこそイエス様が大切にされていたことです。年間という季節を通して、私たちも同じように活動していくことが出来ますように。