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2016年鐘2月号巻頭言

イエス様の道を 
主任司祭 ミカエル 山浦 義春

日本にとってフィリピンにとって世界中にとって喜ばしいお知らせがありました。それは教皇フランシスコが2016年1月21日にキリシタン大名として知られているユスト高山右近(1553年〜1615年)を殉教者として正式に認定し、福者の列に加えることを承認する教令をだされたことです。戦国時代を生き抜いた彼は、時の権力者の禁教令に従わず大名である地位を放棄し、その後、北陸をはじめ日本国内を彷徨いながらイエス様が語った父なる神様への道、真の幸福を探し求めました。江戸時代のキリスト教禁教令によって外国人の宣教師、信徒と共にフィリピンに流されて63歳の生涯を終えました。高山右近は物質的な豊かさや名誉以上に人間を真に幸福にするものを問い続け、目に見えない神様の永遠の愛といのちに真の幸福があると確信しました。このような生き方を求めた日本人は他にもいました。彼と同じ時代を生き抜き、同じ信仰を秘めた方々です。現在は聖トマス西と15殉教者、福者ペトロ岐部司祭と187殉教者、日本26聖人殉教者などいわれる人々で、幼い子供から年配者、男性女性、農民、商人や武士など年齢も身分も階級も異なりますが、当時の権力者の言葉よりも宣教師が伝えたイエス様が語られた言葉を心の支えとして大切にしました。そしてあるときにはいのちをかけてイエス様の言葉をほかの人々に語り、伝えていきました。どんなに苦しい責め道具、極刑があろうとも、イエス様の言葉を守り続けました。その中で日本最初の殉教者である日本26聖人殉教者(1597年 2月5日 西坂の丘で殉教)は、時の権力者である豊臣秀吉によって、キリスト教を信じる者たちへの見せしめとして捕縛され、耳や鼻を削ぎ落され、京都市内を引き回され、京都から長崎までの道のりを歩かされます。12歳になる少年や年配の神父さま、神父さま方に宿を提供した人までも捕縛され、最後には西坂の丘の上で磔の刑に処せられました。名前が知られていない殉教者、イエス様の道を貫き通した方々は大勢います。私たちがイエス様の道を歩き続けるならば、自分たちの信仰を貫き通した方々の事をもう一度思い浮かべ、私たちがどんな生き方ができるのか考えても良いと思いました。どんな生き方が出来るのでしょうか。共に考えましょう。