2017年鐘5月号巻頭言
聖母月に・・・
助任司祭 ミカエル山浦義春
1971年5月にカトリック亀有分教会は三河島教会から独立し、小教区の認可を受けました。この時に旧聖堂も大司教様より祝別をいただいています。それから20年後の1991年5月には、現在の聖堂が献堂され、祝別を受けました。現在、それからさらに26年後の5月の聖母月を迎えようとしています。この亀有においては5月の聖母月は、小教区設立や聖堂献堂の記念もあり特別なものです。今月の第二日曜日(14日)のマリア祭は亀有教会の歩みが聖母マリア様を通して、神様の御手の中にあることを記念しています。皆さん教会に足を運び、喜びを共に分かち合いましょう。
同じようにカトリックという世界に広がるキリストを信じる者にとって、今年は記念するものがあります。ちょうど100年前の1917年という年は第一次世界大戦が勃発した年であり、コルベ神父様がローマにおいてけがれなき聖母の騎士信心会(現在 けがれなき聖母の騎士会)を創立された年でありましたが、それ以上の出来事が起きました。それはファティマの聖母の出現です。つまり、今年はポルトガルのファティマに聖母マリア様が出現されて100年という節目の時を迎えています。1917年5月13日から、ファテイマに住む、ルシア、フランシスコ、ジャシンタの3人の子供の前に聖母マリア様が数回にわたり出現されました。その時に、地獄の存在、戦争の終焉と勃発、ファティマ第三の秘密が語られ、現世的な生活の悔い改め、世界平和のために祈ること、五か月連続で初土曜日に聖体を拝領することを聖母マリア様が強く望まれました。私たちが初土曜日に教会に行くことは、このファティマの出来事に由来しています。教会はこの出現を記念して5月13日をファティマの聖母の記念日としています。
2017年5月、いくつもの意味で特別な聖母月を過ごす私たちです。聖母マリア様のみ心に思いをいたし、取り次ぎを求めて祈りましょう。世界平和のために。回心の生活ができるために。そしてお互いの一致のために。
2017年鐘4月号巻頭言
卵を探そう
主任司祭 ミカエル 山浦 義春
東京ディズニーランドでも「イースターエッグを探そう」というエッグハント企画があることを耳にしました。ここ数年、そのような企画が行われているとのことです。12月のクリスマス商戦と同じように、復活を象徴する「イースターエッグ」が、キリスト教を信じているわけではない人たちや、キリスト教を知らない人にまでも伝えられていることには驚きます。このような流行は東京ディズニーランド以外でも行われているのだろうと想像します。しかし、「イースターエッグ」の本当の意味を主催者は伝えているのだろうか。また、受け取る側も卵を手に取って本当の意味を理解しているのだろうかと疑問が頭をかすめます。そして私たち信徒も、復活祭をよく理解しているのか考えてみることが必要と思います。それでは質問です。まずどうして復活祭に卵なのでしょうか。それは卵が生命の誕生を意味するからです。キリストが十字架上で殺された後、父なる神様によって生命が与えられ、復活の賜物を受けられたことを象徴しているからです。ではどうして父なる神様はキリストを復活させたのか。それは、父なる神様のご意志をキリストが生命をかけて全うしたからです。そして、それはキリストのように生きるならば、私たちもキリストのように復活できるという信仰の保証を与えるものでした。最後に「エッグハント」とは何でしょうか。それは生命の象徴である卵をモチーフとして作られた卵型容器の中に様々なお菓子や宝物がつめ込められていて、それを探すというものです。これには失った大切な宝物を見つけるという意味であり、私たちが居なくなっていたキリストを見つける、自分の幸せを見つける、卵の中に存在する復活したキリストを見つけるという意味が込められています。私たちも信仰の内にキリストを、卵を探すことが出来ますように。
2017年鐘3月号巻頭言
40という数字
主任司祭 ミカエル 山浦 義春
四旬節とは復活祭の46日前の水曜日から復活祭の前日の期間を指し、カトリック教会ではキリスト者は特にイエス・キリストの歩まれた道を心に留め、父なる神様から愛されていることを感じ、改めて神様へ立ち返る回心と償いのうちに過ごします。回心と償いのあらわれとして、周りの人のためへの祈り、施し、奉仕、断食を行います。また四旬節は洗礼志願者の入信の準備の期間にあたるため、洗礼志願者のために祈ると共に、すでに洗礼を受けた者は自らの洗礼を思い起こし、イエス・キリストを通して父なる神様との、そして教会とのつながりを意識する期間でもあります。先程、四旬節は復活祭前の46日から始まると言いましたが、この期間中に含まれる6回の日曜日(主日)を除くとちょうど40日になります。40という数字はカトリック教会において特別な意味が込められています。聖書をひも解くとノアの方舟のにおける40日40夜の大雨、出エジプトにおける40年間の荒れ野での生活、ヨナによるニネベの人々への回心を求める40日、イエス・キリストの40日の荒れ野での断食と、聖書では40という数字は、神様とのつながりを求め、これまでの自分を見つめ直し、誘惑との葛藤の後に神様のもとに立ち返る「回心」という言葉に凝縮されると思われます。四旬節は文字通り四・十日・行事のことですが、それは聖書のこのような意図を伝えているのです。このように復活祭前の準備期間が40日となったのは7世紀頃からと考えられています。カトリック教会では40という数字以外に、弟子、新しいイスラエル王国(部族)をあらわす12や6、7なども特別な数字です。灰の水曜日からはじまる四旬節に、私たち一人一人がイエス・キリストが伝えてくださった父なる神様の愛を深く感じ、神様に近づくための回心、つながるための祈りや奉仕を行うことが出来ますように。
2017年鐘2月号巻頭言
宣教活動
主任司祭 ミカエル 山浦 義春
カトリック教会の典礼暦では、降誕節の主日である主の公現と主の洗礼のあとに年間という季節が始まります。年間はイエスの宣教活動(神の国を伝える、父なる神の愛を伝える)を受け止め、神さまの言葉を聴いて成長するという意味があります。そのため年間に着用する司祭の祭服(儀式用服)は成長を意味する緑が使用されます。今年の2月の主日は、四旬節が3月に始まるので、すべて年間という季節になります。年間という季節を通して、イエス様は何をしているのでしょうか。マルコ福音書によると、イエスはガリラヤのナザレからきてヨルダン川で洗礼を受けた後、ガリラヤ地方に行き、神の国の福音を宣べ伝え始めました。ガリラヤの山で12使徒を選び、共に活動され、宣教にまわられた地域は主にガリラヤ湖のほとりのカファルナウム、ゲネサレ地方、湖の向こう岸のゲラサというエルサレム神殿から見ると辺境の地であったことが記されています。ユダヤ教の中心であるエルサレム神殿付近ではなく、エルサレムに住む同じ民族のユダヤ人が忌み嫌う地域で宣教したということを通して、神様の愛を伝えるイエスの思いを知ることが出来ると思います。これらの地域の人々は他民族支配の歴史が長く、混血民ということで軽蔑され、救われるはずのない人々というレッテルを張られ、神様の救いから遠く離れているという絶望的な状況にありました。福音書の中でイエスは「私は健康な人のためではなく、病人のために来た」という言葉を発しています。イエスの宣教活動は差別され、神様から遠く離れている人々に、神様とのつながり、民族との一致、救いの希望を与えるものでした。第二バチカン公会議以降、洗礼を受けた者はすべてイエスを伝える使命があることが強調されています。私たちも自分の周りを見、弱い立場の人、困っている人、教会に来られない人に手を差し伸べる勇気を持つことが出来ますように。そして、私たちは皆兄弟姉妹であるという気持ちを共有出来ますように。これこそイエス様が大切にされていたことです。年間という季節を通して、私たちも同じように活動していくことが出来ますように。
2017年鐘1月号巻頭言
新しい年に
主任司祭 ミカエル 山浦 義春
新年あけましておめでとうございます
今年も宜しくお願いします
新しい年は神の母聖マリアさまの祭日からはじまります。この日は神さまが望まれる平和な世界を実現するために、神さまに従い、全てをゆだね、神さまと人類のつながりを強固にした聖母マリアさまに取り次ぎを願い祈ります。この日のテーマは平和です。神さまが望まれる平和とは、単に敵との争い、憎しみのない世界ではありません。神さまの愛に満ちた空間、やさしさに溢れた空間、神さまが共にいる空間を意味します。そこには人間が抱く憎しみも悲しみも恨みもありません。洗礼を受け、教会に来ている者として、イエスさまを伝え、神さまが望まれる平和を実現できるよう思いを新たにいたしましょう。
2016年の司祭集会を閉じるにあたってペトロ岡田大司教が「2017年へ向かって」と題して語られたお言葉(http://tokyo.Catholic.jp/archbishop/message/32340/)を見ていくと、私たち小教区に必要な言葉が多くあります。まずは教会の使命から「福音宣教(福音化)は神の民全員に求められ・・・司祭は、信徒の方と協働して、この務めを果たさなければならない・・・」。また宣教協力体のための指針では教会憲章(『』部分)を引用しながら「信徒は自分の意見を表明し、司祭に協力する権利、義務がある。・・・司祭はどういう態度であるべきか・・・『聖なる牧者は、教会における信徒の地位と責任を認め、またこれを向上させなければならない。信徒の賢明な助言をこころよく受け入れ、教会の奉仕のために信頼をもってかれらに任務を委ね、行動の自由と余地を彼らに残し、さらに、彼らが自発的に仕事に着手するよう奨励しなければならない。・・・』・・・合意を作っていただきたい・・・」と、信徒と司祭は互いを尊重し、共同体をともに形作ることを求められました。信徒も司祭もともに洗礼を受け、イエスさまを伝え、イエスさまに従う信者です。今年はこの内容を受け止め、どのように前進していけばよいかチャレンジする一年にしようと思います。
教会の暦ではすでに新しい年が始まり、私たち一人ひとりはイエスさまの誕生を準備し、今私たち一人ひとりの中に小さなイエスさまがいらっしゃいます。この一年私たちはその小さなイエスさまと一緒に成長していくことができるのです。私たち一人ひとりは教会の中でかけがえのない部分であることを意識し、神さまの平和の実現に向けて2017年をともに歩んでいきましょう。
2016年鐘12月号巻頭言
最高のプレゼント
主任司祭 ミカエル 山浦 義春
3000年前地中海の東岸には、ユダヤ人の王国がありました。エルサレム神殿を中心に礼拝が捧げられ、会堂では聖書の言葉が朗読され、人々は律法という規則を守りながら父なる神様と一つになる生活をしていました。しかしこのような生活は長くは続きませんでした。アッシリアの脅威にさらされるようになり、その後バビロニア王国の支配を受け、異国への強制移住が行われ、最後には神殿も壊されます。その後エルサレムに戻り神殿は再建されますが、ローマ帝国がこの地域を治め、自分たちの独立した国を持てず、税金ばかり徴収されてしまいます。自分たちの信じるユダヤ教を認めてくれる王様もいましたが、王様によっては迫害が行われ仲間が殺され、苦しい時代が続きました。
このような状況で人々はある思いを強くしていきます。それが神様がメシアと呼ばれる救い主を遣わし自分たちユダヤ人を導き、他国に勝利し、国を栄えさせてくれるという思いです。この考えがユダヤ人にとっての支えとなり、どんな境遇であれ、父なる神様が派遣してくださる救い主を待ち望んでいました。
今から2000年前のイエスさまの誕生によって、それが成就することになります。ナザレのベツレヘムでのイエスさまの誕生は、ユダヤ人にとって全てを叶えくれる救い主が来たことを意味しました。イエスさまの誕生が神様からの最高のプレゼントである証として、天使たちの歌声が響きわたり、星が多くの人々、王様であり、救い主であるイエスさまのもとに導きます。そして、三人の博士から黄金・乳香・没薬が贈られます。
私たちも最高のプレゼントを下さった父なる神様に感謝し、神様のその愛に一番応える生き方をすることが出来ますように。
2016年鐘11月号巻頭言
死者の日によせて
主任司祭 ミカエル 山浦 義春
現在のカトリック教会の典礼暦では、11月は帰天された方々に特別に祈りを捧げる「死者の月」となっています。諸聖人の祭日(11月1日)の翌日11月2日は「死者の日」としてミサや祈りが行われています。カトリック教会では古くは2世紀頃から死者のための祈りがはじめられ、次第にミサが行われるようになりました。現在のように特定の日に死者のためのミサが行われるようになったのは7世紀の初めごろと言われています。そして諸聖人の祭日の翌日に「死者の日」のミサを行うようになったのは、10世紀ごろのフランスのクリュニー修道院からと言われています。それから200年の歳月を経て、ヨーロッパにこの慣習が根付き、教会暦として整備されてきました。私が感じるのは暦として定着するほど、帰天された方への思いは計り知れないものだったということです。
この死者を重んじ、畏敬の念をいだくということはカトリックにはじまったものではありませんでんでした。ヨーロッパではカトリックの祈り・ミサが広がる以前に、すでにローマ領内で異教の「御先祖の祭り」が行われていました。これは死後3日目、7日目、30日目と年の命日に家族がお墓の周りに集まり食事をするというものでした。この人たちが行っていた異教の捧げものが、後にカトリックのミサに代わり、この異教の伝統を受け継ぐかたちになりました。このように11月の「死者の月」と11月2日の「死者の日」は、様々な伝統を取り入れ定められてました。
最近では典礼にも少しの変化が見られました。それは葬儀・告別・納骨など死者の典礼(ミサや祈り)が執り行われる場合、以前は黒や紫などの死、悲しみ、死者の贖罪を表す色の祭服を用いていましたが、現在は白を用い、神様への傍らにいることの喜びと希望を表すようになりました。私たちはこの月、聖堂で、そしてお墓の前で、帰天された方のためにお祈りをする機会が増えると思います。亡くなられた方々が、神様の傍らにいることができるように祈りましょう。カトリックにおいてこの地上での肉体の死は終わりではありません。死を通して新しい生命が始まります。その始まりは神様の傍らに行くことです。そのためにも、煉獄にいる霊魂のために、その救霊のために、祈りましょう。
2016年鐘10月号巻頭言
ロザリオの記憶
主任司祭 ミカエル 山浦 義春
10月はロザリオの月です。聖母を通して父なる神様に私たちの思いと願いをお捧げする月です。イエス様に寄り添う聖母に私たちの信仰を向ける特別な月です。これはカトリック教会において伝統的に守るべき大切な習慣であり、守られてきた信心であり、伝えるべき美しい祈りです。ここ日本でもこの習慣はある程度根づいていると思います。私の地元長崎でも大切な習慣としてロザリオの祈りは受け継がれています。私がはじめてロザリオにふれ、ロザリオの祈りをしたのは初聖体の頃です。初聖体のプレゼントに頂いたロザリオは一連一連色が違い、五色の輝きがありました。それを手に家族と、地域の方々と、そして教会でロザリオの祈りをし、そのロザリオの珠を大事な宝物にでもふれるかように手繰っていました。本河内の神学校時代には巨大なロザリオに出会いました。それはロザリオを唱えながらルルドへ参拝できるよう、ルルドまで昇る階段の手すりにロザリオの珠がついたものでした。私もアヴェ・マリアの祈りを唱え、一つ一つの珠に聖母への思いを込めながらルルドまでのぼり、ルルドの水を飲んだ懐かしい記憶があります。手にもって祈るロザリオから、体全身で祈るという貴重な機会に触れた思いでした。そして長崎本河内教会主任の時には念願のフランスルルドでロザリオの祈りを唱える機会に恵まれ、初誓願の時に頂いたロザリオをもって、ベルナデッタの前に姿を現したした聖母出現の地を訪れました。この時のロザリオは私の恩人が使っていたロザリオを分解し新しい鎖をつけたもので、恩人にとっても大切なロザリオでした。ルルドでの祈りでは、聖母の姿に接したベルナデッタの気持ちが不思議と伝わってきて、ベルナデッタと心を一つに祈っているような感覚になり、時代を越えて共に祈ることができることに大変な感動を覚えました。そして、恩人のロザリオを握りしめながら、恩人がロザリオを通してこのような祈りの時を与えてくれたことに気づき、驚きと喜びの気持ちをロザリオの祈りにのせ、聖母を通してイエス様にお捧げしました。この時は、仲間の思い、自分の思い、そしてベルナデッタの思いそれぞれをロザリオの祈りでつむぎ、冠を作り、聖母の頭上にそれを捧げているような不思議な感覚を覚える祈りでした。初聖体の時頂いたロザリオ、ルルドに備え付けられた巨大なロザリオ、大切に受け継がれて来たロザリオとの出会いは、私にとって大切な記憶以上の自分の生きた証です。この10月のロザリオの月に、あらためてロザリオにふれる機会をもちませんか。ロザリオをしていた時の記憶を振り返れば、そこにはロザリオがとりもった仲間との出会い、ロザリオによって結ばれた聖母への思い、聖母によってイエス様と結ばれた喜びと希望があると思います。まずはロザリオを身近においてみましょう。
2016年鐘9月号巻頭言
福者マザーテレサの列聖によせて
主任司祭 ミカエル 山浦 義春
3月15日にバチカンで開かれた通常枢機卿会議で、コルカタの福者テレサ(マザーテレサ)を聖人とする列聖式の日取りが9月4日と定められました。また東京においても列聖記念ミサが9月19日に東京カテドラル聖マリア大聖堂で行われることとなりました。みなさんはこの聖人の生涯を知り、考えを深めたことはありますか。私は10年以上前になりますが、彼女が1982年に本河内の聖母の騎士修道院を訪れていたことを知り、聖人の生き方を考えるようになり、その後彼女の生き方を伝えたいという気持ちになりました。1996年の学生時代には山谷を訪れ、日本でもマザーテレサの創設した修道会が活動していることに感動し、修道会のブラザー達の生き方に強い影響を与え続ける聖人の生き方について、以前よりも考えるようになりました。その後もなんどか山谷を訪れましたが、その度に彼女の始めた行動が、地域も文化も越えて世界中に広がっていることにとても大きな喜びを感じずにはいられませんでした。彼女の行動とはどのような行動なのでしょうか。それは、周りの人々に自分を通して神様の愛を伝えることを自分の役割と受け止め、イエス・キリストのように神様の愛といつくしみを周りの人々に伝え、宗教や民族をこえて相手の存在を尊重することを実践し続けたことです。インドというカトリックが少数派の国の、しかも自分の生命の危険が伴う貧困者の多い地域に自ら身をおいての行動です。それゆえ彼女の言葉には真実の愛を感じさせられます。『神さまはいまも、あなたをとおしてこの世界を愛しています』『宣教することは説教ではありません。わたしたちの存在そのもの』『私はキリストの鉛筆です』これらの言葉から私は彼女の生き方、イエス・キリストに従う気持ちを感じます。マザーテレサの列聖にあたり、あらためてイエス・キリストに従った彼女の生き方に思いを馳せ、彼女にならいイエス・キリストと共に歩む道を求め続けていきましょう。
2016年鐘8月号巻頭言
よりどころ
主任司祭 ミカエル 山浦 義春
皆さんの心に残る大切な思い出はなんでしょうか。家族との思い出でしょうか。私の場合は母が作ってくれたお味噌汁です。家族が集まって笑いながら、時には喧嘩しながら囲んだ食卓の事を思い出します。たいした御馳走はありませんでしたが、白いご飯と一緒に頂いたお味噌汁の味は忘れることができません。今回も帰省の際に母にお願いして食卓に出してもらいました。どうしてお味噌汁なのか。それは一口すすると安心し、自然と力が湧いてくるからです。当の母は「たかが味噌汁」と言います。確かに味噌汁は主食でもなければメインディッシュでもありません。けれども今では兄弟が集まると母の味噌汁の話しで盛り上がるのです。母の味噌汁はいつの間にか兄弟を繋げ、家族を支える「よりどころ」となっているのではと思います。
ところであなたの信仰のよりどころはなんでしょうか。いろいろあるかもしれません。洗礼時に頂いた洗礼名でしょうか。代父母から頂いた言葉でしょうか。それとも家族、恩人、尊敬する方からかけて頂いた言葉でしょうか。私たちはそれぞれに信仰のよりどころとするものがあると思います。それさえあればどのような苦しい状況に置かれたとしても、逃げずに耐え、時には笑顔にさえなることがきるのです。私はよく江戸時代の激しい弾圧の中に生き、信仰を守り抜いた人々の、ときには殉教の道を選んだ人々の信仰を支えたものは何だったのかに思いを馳せます。潜伏キリシタンは観音像と見立てて聖母マリア様の像をおき、また洞窟の壁や掛け軸に聖母マリア様を描いています。そこに集まり、聖母マリア様の取り次ぎを求めて熱心に祈りを捧げていたのでしょう。役人に見つからないように、見つかっても分からないように、受け継いできたものを大切に守りつづけて行ったのです。
教会では8月15日に聖母マリア様の被昇天の祭日をお祝いします。あらためて様々な時代を生きた多くの信仰者の聖母マリア様への思い、そして信仰のよりどころとして慕われてきた聖母マリア様の神様への信仰について考えてみましょう。