キリストの聖体 祭日
イエス・キリストは、秘跡において、目に見えるしるしを通じて働かれる。このしるしは、その目に見える姿を変えることなく、聖なるものとなる力を与えられる。キリストは聖体の御からだと御血のうちに、その霊魂と神性において現存し、すべての人にご自身とご自分のいのちを与える。旧約において、神はご自分の現存を示すしるしを遣わした。神は雲(シェキナー)、天幕、神殿の中にご自身を現された。時が満ちて、新約においては、神は肉となったみことばとして、人類とともに住まわれた(ヨハネ1・14参照)。本当の意味で神はインマヌエル(われわれとともにおられる神)となり(マタイ1・23参照)、ご自分の世継ぎである御子を通して語られた。
聖体拝領の際に秘跡によって行われることを理解させるために、パウロはこう述べる。「主に結びつく者は主と一つの霊となるのです」(1コリント6・ 17)。それは聖霊によって与えられる新しいいのちである。アウグスチヌスはこの神秘を深く理解した。それは、すでにアンチオケのイグナチオが理解し、後にアウグスチヌスに続く多くの修道者、神秘家、神学者が理解したものである。聖体礼儀は「すべての被造物を呼び集める(ekklesiazon)」(25)キリストの現存である。それはすべての者を聖なる祭壇の周りに招き、「摂理的な仕方で彼らをキリストと結びつけ、また互いに結び合わせる」(26)。ヨハネ・クリゾストモはいう。「聖なる祭壇に近づくとき、被造物の王がそこにおられると信じなさい」(27)。そのため、聖体拝領と聖体の崇敬を切り離すことはできないのである。
イエス・キリストの現実の現存は、真に偉大な神秘である(28)。第2バチカン公会議は、トリエント公会議がこの神秘について述べるのと同じことばを用いた。全実体変化(transubstantiaio)によって主はその御からだと御血のうちに現存される(29)。東方教父はパンとぶどう酒がキリストの御からだと御血に変わることを「変化」(metabolismos)(30)と呼んだ。これらは神秘と理性の橋渡しをするための二つの優れた仕方といえる。教皇パウロ六世が述べたように、聖体の現存は「その独自の仕方において最大の奇跡である」
(http://www.cbcj.catholic.jp/〜引用)
三位一体の主日
4世紀から5世紀にかけて、教会内には、御子は御父によって造られた存在であり、御父と同一本質ではないということを主張したアレイオス(256年ごろ〜336年)の異端に代表される、キリスト論や三位一体論に関する論争が起こりました。このような論争の影響を受けて、スペインやガリアの教会では、三位一体への信仰を表明する信心や説教が盛んになり、7〜8世紀には三位一体のためのミサの祈願も作られました。現在のカトリック教会で三位一体の主日のミサで用いる叙唱は、8世紀半ばの秘跡書(サクラメンタリウム)に由来しています。さらに、9世紀ごろには三位一体のための信心ミサも作られ、11世紀ごろのフランクやガリアのベネディクト会修道院では、聖霊降臨の主日の次の主日に三位一体を祝っていたようです。
教会としては、毎日のミサで三位一体を記念し三位の神を賛美しているということから特別な祝日を設けることには慎重でしたが、教皇ヨハネ22世(在位 1316年〜1334年)が1334年に全教会で祝うことを決定し、教皇ピオ5世(在位1566年〜1572年)による『ローマ・ミサ典礼書』(1570 年)にも導入されて定着し、現在に至っています。
(http://www.cbcj.catholic.jp/〜引用)